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Patina哲学
【Patina哲学】第二回 瞬間かさねて時となる
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【Patina哲学】第二回 瞬間かさねて時となる

モノ・コト・ヒトの経年変化を味わい楽しむブログ

年単位の通過点を意識するとき

大晦日は1年間の終わりの日で、新年は始まりの日。毎日暮らしていると、今は1年間のどの辺り、と少しは意識するけれど、大晦日や新年ほどは、年単位で通過点を意識することは少ない。

本当はずっと続いている時間だから、始まりもなければ終わりもないが、生きる上で区切りをつけてゆくのは、自分がどれだけのことをやって、経験して、誰かから何かの恩恵を受けて、生かされていることを、どこかで立ち止まって、振り返って、内省しないと、そのままだらだらと意味なく終わりなく続いていくのが、怖いのかもしれない。

今年の漢字が発表されたり、流行語大賞などが発表されるのも、この1年間はこうだったという、意味付けがしたいのだと思う。歴史はきっとそうやって作られてゆく。意味があるのかないのか漫然としているところに、頭の冴えた誰かが意味付けをする。その意味が大多数の賛同を得ているのかどうかは置いといて、くり抜かれて、名付けられた何かがセンセーショナルに事実として居座る。

歴史の意味と記録の意味

年単位の記録は、10年単位になると、だんだん忘れられてゆく。100年単位になると完全に風化して、100年一括りの表現になる。歴史はいろんな場所で、いろんな側面で起こるので誰かの基準で端折られて統合せざるを得ないだろう。その中で統合されずに残った歴史的事実は、もっともふてぶてしく居座った事実なのかもしれない。

歴史は、時間軸の中の地図だ。先人が残してくれている地図をもって、未知なる未来へ備える。経験はある程度共有できる。自分の歴史は生まれたときから死ぬまでの限られた時間。生まれる前の過去のことも、死んだ後の未来のことも、わからない。自分自身の時間を一定期間で区切り、残そうとするのも、人生80年と考えたときに、ある程度未来に対する地図を蓄積し、アクセスできない未来に自分の生きた時間を残そうとする試みなのかもしれない。

人はあるとき突然病気になる。でもそれには複数の原因が隠れている場合がある。不摂生なのかもしれないし、ストレスなのかもしれないし、運動不足なのかもしれないし、生まれ持った何かなのかもしれない。

将来腰が曲がってしまうかもしれない恐れがあるなら、毎日自分の姿勢を記録しておけば、癖がわかるようになって、腰が曲がることを防止できるかもしれない。将来糖尿病になる恐れがあるなら、食事の記録をつけて、何を食べたか把握していれば、病気になったとき、原因を推測できる。もしくは食べるものを選択することによって防げる病気もある。

あるとき突然、センセーショナルな事件が起きるのではなく、伏線が見えないところで育ち、いつか成長して爆発する。それと同じように、あるとき突然病気になるわけではない。どこかに伏線がある。とりわけ、生活習慣病と称される病気は、その名の通り、生活習慣だ。時間の経過の上で繰り返したことが、そのまま原因になる。

経年変化と時の積み重なり

経年変化は、劣化だ。人は年をとるたびに、成熟より劣化を感じやすい。疲れやすくなったとか、痩せにくくなったとか、シワが目立つとか、白髪が増えた、とか。今ほどアンチエイジング対策に溢れた時代はないのではないだろうか。成熟に目を向ける前に、劣化防止のため、アンチエイジングに勤しむ。

経年変化は、流れた年月と変化を受け入れることが前提だ。生きている人が成熟してゆくのは、時の流れを恩恵として、経験が価値として積み上がってゆくからなのであって、アンチエイジングはその真逆の方向をいっていると思う。何より、時の経過と変化、つまり経年変化を否定している。

時はどこかの部分が抜けたり、一緒になったり、消滅することなく、一定の速度で、雪がしんしん降り積もるように、目の見えないところで重なり続けている。ときにはシワになって現れることもあるだろう。でもそれは当然のことで、否定したりストップしたりするものではないと思う。

「瞬間かさねて時となる」

日めくりカレンダーに書いてあった言葉。時を単位で追うのではなく、瞬間を重ねていった結果、時になったのだ。それはただ過ごすものではなく、積み上げるもの。経年変化の結果、Patina(パティーナ)が現れるのと同じ考え方だ。

アンチエイジングよりも、良い瞬間を重ねて、経年変化を受け入れて、価値を築く生き方のほうが、時間の流れに沿っているから自然で素直だ。

自分の人生を歴史の中に置いてみたら、消し飛ばされるぐらい軽い存在かもしれない。それでもよくよく見れば、残る歴史的事実の隙間には、無数の人が生きた歴史が詰まっている。記録としては消えても痕跡としては消えない。

そう思ってか思わずか、一年の終わりに一年を振り返り、新年を迎えて新年の抱負を述べて、記録し続けるのだと思う。

 

Patina哲学第二回 版画タイトル:雪降る夜の街

コラム製作 まっちゃん

広島県出身。すでに3人に1人が高齢者という当時先進的な島根県の大学で4年過ごし、中国研究に没頭。就職活動してみたが、まったく手応えなく、そのままニートになりそうだったので、中国(上海)に留学。上海が気に入ってそのまま中国で合計4年間暮らす。26歳ぐらいのとき、このままだと日本人であることを忘れそうだったので思い切って帰国して10日後上京。なぜか飲食店でずっとおせち料理をネットで販売し続ける。激務でECのエキスパートになってはみたものの、人生に疲れて、仏教に出会い、インドへ行き、今度はスリランカを目指しています。

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