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Patina哲学
【patina哲学】第一回 経年変化がpatina(パティーナ)になるとき
Patina哲学 コラム パティーナ 経年変化 哲学 patina

【patina哲学】第一回 経年変化がpatina(パティーナ)になるとき

モノ・コト・ヒトの経年変化を味わい楽しむブログ

序論

Patina(パティーナ)は、ラテン語で経年変化の味わいを示す言葉だ。日本語では、経年変化という言葉で、その意味を含ませるときがある。

経年変化ー
年月が経つうちに製品の品質・性能が変化すること。特に、摩耗・腐食などで性能が劣化すること。また、時間の経過とともに住居が損耗すること。(goo辞書より抜粋)

日本語では、経年変化が意味することは、劣化である。

新しいことが起点なら、時間の経過による変化は、いつも劣化になる。しかし全てが劣化するならば、歴史を経れば経るほどダメになっていくのだろうか。そんなことはない。それが味わいを持つには、何かの魔法が必要なようだ。

日本語の表現では、その意味を含ませているのか、説明が端折られて飛んでいる。時間の経過が、知らず知らずのうちに味わいに変化してゆくこと。それはきっと、生活のいたるところにいろんなかたちでひっそりと当たり前に存在していて、気付きにくい。こう表現したらきっとわかりやすい。

ただの時間経過でも、劣化でもなく、経年変化が味わいになるとき、経年変化は、Patina(パティーナ)になる。

知ったかぶりか、知らないふり

インターネットで簡単に情報にアクセスできるようになって、ずいぶん経つ。過去20年と比較したら、個人が持ち得る情報は、ずいぶんと多く、細かくなった。

例えば、食べ物。おいしい・まずい以外に、栄養素、カロリー、添加物、原産地、糖質の概念などなど、ネットで調べればある程度わかった気になる。

例えば、医療関係。癌にもたくさんの種類があり、症状からそれとなく病名を推測して恐ろしい気持ちになる。見たことはないけれど、体に悪さをする細菌の名前も知っている。心の病も、たくさんの病名があることを知った。

挙げればきりがない。情報が増えたから、選択肢も増えた。選択肢が増えたから、得られる答えも増えた。解答例がオンライン上に毎日毎日増えてゆく。それが集積されて、大きな模範解答に育ってゆく。誰が育てたでもなく、不特定多数が育てた答え。

だが、その模範解答はいつしか、相反する答えが複数個も生まれる状況をもたらした。正しさを追求して、間違いを糾すことをお互いやり合う。正しさを証明するためには、根拠が必要なので、毎日細かい根拠を作るのに忙しくなった。

もしくは、思考停止になり、わからないという殻をつくり、選択しないで、洗脳されることを自ら選んでしまうこともある。選択させられたと思い込み、結果が違えば選択させた対象を批判する。

これは情報が多いからこういうことになっていくのか、思考停止だから、そうなるのか。どちらでもあって、どちらでもない。

ただしさの上にたつこと

もし、1人の個人が、何かを信じて、何かを正しいと断じれることがあるとするなら、不特定多数の集まった答えではなく、1人の人間の具体的な行動と、それがもたらした結果だとおもう。それを集積することはできるが、どこかで微妙にずれていく。何かは端折られて、大部分あっていることに集約されてゆく。

それで大部分あってはいるのだが、何かが違う。違和感を感じる。そう思う人もいる。端折ったものは微細で壊れやすくて消えやすくて当たり前すぎるので、何だったかは気づけない。でも確実に何かを失っている。

大部分の傾向から何となく想定できることは、どこかで準備されている。準備されたものと出会っても、安心するが、感動はしない。わたしたちは安心できることを最低限求める。それは既知のものか、既知から類推できるもの。

ネットで検索してアクセスできる情報は、たいてい自分自身が既知になったものが多い。そうやって知らず知らずのうちに、情報の檻に閉じ込められていく。知ったことが常識になり、常識の上に生きてゆく。それと知って知らずか、その常識に固執する。正しさを求めて、真実を追究したような気になる。

そもそも、オンラインの雑多で多様な声は、今まで目視できなかったひとりひとりの具体的な声が現れた結果だと思う。類似のものもあり、平行線をたどり、異なる意見も複数あり、何を信じて良いのかわからないという状況は、現実世界そのものだ。異なる人間がたくさんいるのだから、いろんな意見があるほうが当然なのだ。そこに、唯一無二の真実はない。違って、混ざって、変わってゆくのが本来の姿だ。

Patina哲学では、抽象論に陥らず、善悪論でもなく、是非を問うこともなく、真実を追及するわけでもなく、左でも右でもなく、ただ個別で具体的な体験と現象を通じて、経年変化が味わいに変化する、Patina(パティーナ)になるという考え方を炙り出す試みをしてみようと思う。

 

Patina哲学 第一回

コラム製作 まっちゃん

広島県出身。すでに3人に1人が高齢者という当時先進的な島根県の大学で4年過ごし、中国研究に没頭。就職活動してみたが、まったく手応えなく、そのままニートになりそうだったので、中国(上海)に留学。上海が気に入ってそのまま中国で合計4年間暮らす。26歳ぐらいのとき、このままだと日本人であることを忘れそうだったので思い切って帰国して10日後上京。なぜか飲食店でずっとおせち料理をネットで販売し続ける。激務でECのエキスパートになってはみたものの、人生に疲れて、仏教に出会い、インドへ行き、今度はスリランカを目指しています。

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